エジル・マセド監督牧師のメッセージ 第1

最近、ユニバーサル教会では聖書時代の頃に神様に召され、つかわれ、神の業で非常に重要だった人物について教えています。彼らも人間としての弱みがあり、それに負け、神様の御言葉に従わなくなった時に彼らも、自分達のした事の実りを刈り取った。すなわち、自分の背き、犯した罪によって数々の苦しみを抱えてしまった。私達は神様の御言葉を伝える者だから特別扱いされ、多少の誘惑に陥る事が許されているわけではない。もし、誘惑に陥れば、自分のした事の代価は払わねばなりません。たとえ、自分の犯した罪を悔い改めても、犯した事の実りは刈り取る事になる。

例としては、モーセという人は神様の背後を目で見ました。神様を見た人間です。彼はこのような幸福を味わったのです。しかも、聖書によると彼が神様と話す時、彼の顔は輝いていたとのことです。神様の存在が自分の元にいて、彼との交わりが深かったからです。しかし、彼が背いた時、彼は神様が約束した地に行く事が出来なくなったのです。こういう事です。信仰に従いが伴わないのなら、意味がない!信仰に従いがないのなら、何も実らない!従う事により、あなたの良心がきれいになるのです。しかし、背く事により良心が汚れるようになるのです。結果、良心が汚れているのなら、疑いや不安が来て信仰を使えなくさせるのです。従う事により、祝福される。従わない事により、呪われる。

もう一人の例は、ダビデです。ダビデはゴリアトに打ち勝った人で、イスラエルにとって重要で大切だった存在でした。王位に立っていた彼は、ある時、最悪な罪を犯したのです。それは、自分に従順だった兵士を殺し、彼の嫁を自分のものにしてしまった。それを見た神様は受け入れなかった。彼を裁かずにはいなかった。彼も、自分のした事の実りを刈り取ったのです。こうして、イスラエルという民、全体は一人の男ダビデの罪のせいで苦しんだのです。なぜ、私達はこうやって彼らの背きの話を聞いているかというと、神様は彼の背き隠されなかったからです。このような、例がある私達が彼らの過ちを繰り返すのなら、倍に裁かれるのです。なぜなら、その罪の結果を知っているからです。分かってください。あなたの信仰は大きなものかもしれません。山をも動かせるような信仰、死んだ者をもよみがえらせるような信仰の持ちぬしかもしれない、好きなだけ奇跡を引き起こせるかもしれない、しかし、背く事により、裁かれるのです。悪魔だってそうでした。天の国にいた時、彼は神様に背いた、だから、悪魔になったのです。

もし、牧師、伝道師、神を信仰する私達が、聖書時代の登場人物の過ちを知りながらも繰り返すのなら、主に対し畏れ敬いが足りないという事です。聖書によると、主を畏れる事は知恵の始まりと書かれています。主を畏れない者は知恵もない、知恵ある者は主を畏れ敬うのです。近々、イスラエルのキャンペーンを行います。それに向けてあなたは忘れていけない事があります。あなたは、祭壇を作り直さないといけない。自分自信の精神面を見直さねばならない。自分は神様に従って生きているか背いているか見直さなければならない。
ある女性は、このように言った。「監督さん、私は15年間教会に通っているが、大きな祝福は与えられていない」でも、話していくと彼女は告白をした。自分は結婚をしている男の愛人だと…果たして、このような人はどうやって主の祝福を得る事が出来るのか?自分は悪に属する事を行っているのに…アブラハム、イサク、イスラエルの神が正義の主なら、サンタは不義の主です。罪を犯す事により、不義を行う、結果悪魔に従ったと言う事です。だから、人は10、20、30、50年間教会を通って聖餐式に参加して伝道の活動もして、人を救っているが自分を救えてない。世界を救い、自分を救えないのなら意味がない! ですので、イスラエルキャンペーンに参加される前に、自分を見直して、従っているか、否か!従っているのなら、神に要求できる。しかし、背いているのなら、祝福を受ける権利がない。あなたの犠牲は効力がない。Siteeeejpg

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