神様は私たちに命の道と死の道を示されます。そして、選ぶ権限は私たちにあります。

命の道は正義の道であり、死の道は不義の道である。自分達がどの道を歩むのかを決めます。

通常、人は悪いことが起きると人の責任にする。反対によい事が起きると人の責任にはしない。しかし、状態が悪くなると人に指を指し責任を押し付ける。

この世には、神様の霊と悪魔の霊が存在すると分かります。神様は人を無理やり自分に従わせようとはしません。しかし、人が神様に従うと決めたのなら、神様はその人が正義を行う事を要求します。聖なる方であるから不義を行う人とは歩めないからです。

そんな、神様は不義の中に生きている人も救いたいのです。不義の中には、貧しさ、病気、裏切り、嘘などが含まれます。だからこそ神様は信仰を残しました。この信仰こそ犠牲を伴うものであり、自分を聖なる神様の元まで導くのです。

神様は人が聖なるものであることを求める
「あなたがたは聖なる者となれ。」ペトロの手紙1 1章16節

神様は私たちに聖なるものである事を要求するように、聖なるものは神様の正義が、自分自身の人生に表れる事を要求する権威があります。
この世は、不義に染まっているから、不義の影響を受けずにはいられない。神様の聖なるものが不義に会う事で、神様に正義を要求するようになります。神様が、あなたの要求する事を認めるのは、聖なるものである事を神様も要求するからです!

神様がアブラハムに、御自分を示された時、御自分が全能の神だと言われました。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」創世記17章1節
これは、紛れもなく神様がアブラハムに正義正しくある事を要求しているのです。アブラハムは、ソドムとゴモラが滅ぼされると知った時、神様に正義正しくある事を求めました。

「正義を行われるべきではありませんか。」創世記18章23-25節

神様は、ソドムに正しい者が住んでいた事を知っていました。しかし、その状況を許す為に、正しい者が正義を求める必要があった。それはアブラハム本人でした。

Related post

Facebook

Return Top